シアトルタコマのおばちゃんブログ

アメリカ在住30年以上、現在シアトルタコマのあたりに住むおばちゃんのブログです。

恥ずかしい気持ち

これは何でしょう?

 

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尿瓶です。

 

みうらじゅんは、尿瓶を集めているそうです。

 

みうらじゅんが教える、「ない仕事」の作り方 - コラム : CINRA.NET

 

尿瓶は、寝たまま尿をするために使う瓶のことです。(「しびん」とよむ)

病気や怪我など、トイレに行けない時に使います。

 

排泄はプライベートなことなので、

尿瓶を使うのを「恥ずかしく」思うかもしれません。

軽く「尿瓶を使ってるのよ♪」なんて会話できるものでもありません。

 

 恥ずかしい気持ちとは

 

誰にでも「恥ずかしい」という感情があります。

それは生まれた時からあって、他人とうまくやっていくのに役立ちます。

ところが私たちにとって「恥ずかしい」は「嫌なこと」でもあるのです。

 

  • 恥ずかしかったことを無かったことにしたい
  • 恥ずかしくて落ち込んでしまう
  • 恥ずかしがり屋でいたくない、なんて悩んだり

 

アメリカ人でも、恥ずかしがり屋の人はたくさんいます。

 

さて「恥ずかしい」経験があっても、

その感情と上手く付き合い、魅力的な人もいます。

 

そんな風に、

  • 自分が「どう見られてもいい」なんて思えたら
  • 恥ずかしい思いを切り替えられたら
  • 恥ずかしくても自分の意見を言えたり行動できたら

と願ったりします。

 

もちろん、私にも、

穴があったら入りたいと思うような、恥ずかしい経験はいっぱいあります。

「おばちゃんだから恥ずかしくない」なんてことはないのです。

 

そこで「尿瓶」です。

 

みうらじゅんが、大切そうに持っている尿瓶の写真にインパクトを受け、

「恥ずかしい気持ち」について「そうか・・・」と思ったのです。

(記事の内容ではありませんでした・笑)

 

赤ちゃんは、しもの世話をしてもらうのを恥ずかしいとは思いません。

 

成長していく過程で、どんなことに恥ずかしいと感じるのかを学ぶので、

人によって違います。

育った環境や、経験に影響するのです。

 

そこで、3つの「恥ずかしい」にまつわる私の経験をお話します。

 

 1. 尿瓶の思い出

 

私が初めて尿瓶を見たのは、子供の頃、田舎でのことでした。

中風で寝たきりの祖父の世話をしていた祖母が、

ひょいっと祖父の掛け布団の端を持ち上げ、さっと尿瓶を突っ込んだのです。

そして尿の入った瓶を取り出し、部屋から出て行きました。

この一連の動きを遠巻きに見ていた私は、ちょっと考えてしまいました。

 

祖父は、次第に衰えていきます。

人は年を取ると、一人では何もできなくなり、

排泄まで人に頼るようになっていくのです。

 

私が小3の冬、祖父の具合はさらに悪くなりました。

そして年末、祖父の部屋の障子張りをしていた母に看取られながら、

静かに息を引き取ったのです。

 

皆がお正月の準備に忙しい中、

母は、祖父の息が、途切れ途切れになるのに気付いたそうです。

人を呼んでいる間に、祖父は息を引き取るかもしれません。

そうして母と祖父は、二人で、静かに、最後の時を一緒に過ごしたのでした。

 

2. 恥ずかしさも吹っ飛ぶ経験

  

恥ずかしいなんて言ってられない事の1つ、

それは、出産です。

 

そして出産にまつわる、こんなことがありました。

 

私の友人が、出産した時のことです。

妊婦の出産日が近づいたある日、検診のため、

私が彼女を車で病院に連れていくことになっていました。

行く前に、彼女と素敵なレストランでランチをして、

「早く生まれたら良いのにね」なんて呑気な事を言ってました。

ところが彼女は、診察後、入院、それから出産を促すことになります。

友人の母親が来ることになっていましたが、ハワイからなので間に合いません。(地続きなら何とかなったけど)

そこで、彼女の夫と私が、付き添うのですが、

赤ちゃんは、なかなか出てきません。

終に、朝一番で、帝王切開に踏み切ります。(薬を変えた後、急変した)

夫は、もはや疲労と心配でフラフラしてます。

挙げ句の果て、手術のサインをする前に行方不明に!

コーヒーを買いに行ったら、帰りのエレベーターが故障したのです。

(軍の大病院だったのに!)

一刻を争う事態でしたが、やっと夫が戻ってきて、無事にサインを終了。

卒倒しそうな夫の代わりに、私が手術に付き添い、

元気な赤ちゃんが生まれました。(お母さんも元気)

 

詳しく書けば、もっと生々しくなるのですが、

3日間も眠ってない夫の様子など、

出産は、妊婦も含めて、恥も外聞も無くなるほど大変だということです。

 

3. 父の尿道カテーテル

 

祖父の尿瓶も考えさせられましたが、

父の尿道カテーテルを見た時は、複雑な気持ちになりました。

 

祖母が倒れた時も見ているし、オムツの世話などもしてたのに、

父親の尿道カテーテルは、どう考えて良いやら分かりませんでした。

 

父は、お風呂で倒れ、赤十字病院に運ばれていました。

本人は、回復しようと頑張ったのですが、

一ヶ月ほど後、退院することなく、肺炎で息を引き取ります。

 

その間、父の尿道カテーテルは付いたままで、

交換(痛いらしい)はなかったと思いますが、

股を綺麗にしてもらうたびに、恥ずかしかっただろうな、と思いました。

 

www.holstein-ojisan.com

 

そこの看護婦さんたちは、若くて可愛らしい方が多かったので、

若い男性でしたら嬉しいかもしれませんが、

大正生まれ(最後の年)の父としては、ちょっと複雑だったと思います。

いや、やはり嬉しかったかもしれませんね。(笑)

 

父が亡くなり、看護婦さんたちも泣いてくださったのが慰めになりました。

 

まとめ

 

人の生き死にに関わると、恥ずかしいなんて気持ちは、吹っ飛びます。

 

この記事で紹介したことは、日常で起こることです。

また、将来、私たち自身が経験するかもしれません。

 

その時に、

「ああ、恥ずかしいなんて、そんなことで悩んでいるより、

もっと自由にすれば良かった」と後悔しないで、

今、恥ずかしさを受け入れ、自分を認め、

幸せな生き方をした方が良いです。

 

「尿瓶」は、そんな事を私に思わせてくれました。

 

それではこの辺で、シータック!