シアトルタコマのおばちゃんブログ

アメリカ在住30年以上、現在シアトルタコマのあたりに住むおばちゃんのブログです。

日本人は不親切?

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私は毎年2回ほど日本に帰国しますが、

日本旅行は楽しいものの、気になることがあります。

 

それは「日本人って本当に親切なの?」という疑問です。

 

これって親切な人?

 

それで私が日本で経験した事を4つ紹介します。

その1:人の前を通る 

 

私は日本で歩いている時に、急に前を横切られてびっくりすることがあります。

 

「あなたがゆっくり歩いているからじゃないの」と友人に言われ、

今は気をつけるようにしています。(私は、結構、早歩きですが)

 

アメリカでは、相手の前を横切らねばならないときは、

「エクスキューズミー」と声をかけます。(「失礼します」の意味)

そもそも、そんなシチュエーション(状況)は稀です。

不注意か、それ以外に通る方法がない場合しかありません。

 

実は、私は、アメリカのモールで友人とお喋りをしながらお店から出た時に、通りを歩いていた女性にぶつかりそうになったことがあります。

 

私が、

「Excuse me」と言ったら、

「Excuse you」と相手は答えました。

これは嫌味な言い方なので、日本人は使わない方が良いです。(冗談で言うくらい)

 

彼女の態度もちょっと問題でしたが、

そもそも私が悪いので、怒られても仕方ありません。

 

そう、人の前を横切るのは無作法、不親切な行為なのです。

 

ameblo.jp

  

その2:怒鳴られる

 

数年前のことですが、アメリカ人の若い女性と一緒に日本旅行して、最後に成田空港へ向かう電車の中で、

「うるせーんだよ!」と、

後ろに座っていた年配男性に怒鳴られたことがあります。

 

グリーン車の中でしたし、私たちの声が大きいのが気に障ったのでしょう。

 

私の友人は、ちょっと耳が遠いのか、声が大きくなってしまうことがあります。

その時、彼女は、楽しかった日本旅行の話をあれこれしていたので、つい声が強くなっていました。

 

私も気をつけるべきでしたが、彼女は日本語が分からなかったので、この男性の乱暴な言い方が伝わらなくて良かったです。

その後、彼女は、静かに本を読んでいました。

 

せっかくの初の日本旅行、しかも楽しかった旅行を嬉しそうにしている彼女に、こんな経験をさせてしまい、悲しかったです。

 

男性の方に、怒鳴るのではなく、

「ちょっと声を下げてくれませんか」と静かに言ってもらいたかったです。

 

この時、私は、その日本人男性は、外国人旅行者に、

「自分もかなり失礼な人だと思われて平気なの」と疑いました。

 

アメリカでは、この男性の言動こそ不親切だからです。

 

アジア系の旅行者が日本人に迷惑をかけていることは聞いていたので、

友人がアジア人だったら「また⁉︎」と思われたかもしれません。

ところが私の友人は赤毛の白人だったので、そうでもないようです。

まあ私の方が、アジア人と思われたかも(そうだけど・笑)。

 

アメリカでは、彼女くらいの声の大きさを、こんな風に責めたりしません。

というか、皆、気にしないのです。

話し相手(家族や友人など)が、うるさく思ったら、

「ちょっと声を下げてくれる?」と言うかもしれない程度です。

 

これは、

「多民族社会のアメリカでは、少々のことなど気にしない」

と言う遺伝子があるからかもしれません。

 

その3:障害者への不親切

 

このことについては、私の前の記事で書きました。

 

seattle-tacoma.hatenablog.com

 

日本は、まだまだ障害者に慣れてないようです。

 

日本とアメリカの違いは下記の記事でも説明しています。

 

www.huffingtonpost.jp

  

この記事の最後に、キング牧師が言った

「善意の人々からの浅い理解は、悪意の人々からの絶対的な誤解よりも苛立たしい」

が印象的でした。

 

その4:電車で席を譲られて迷惑?

 

先日、日本で電車に乗っていた昼下がり、座席に座っていた3人の年配男性がこんな話をしていました。

 

「この前、男子高校生に席を譲られたんだ」

「そんなに年寄りに見えたのかね」

「仕方ないから座ったよ」

「せっかくの好意を無駄にしちゃいけないしね」

 

と、それを横で聞いていた私は、がっかりしてしまいました。

 

この3人は、身なりの良い男性たちです。

矍鑠(かくしゃく)としておられたので、席を譲ろうとした男子高校生は、年上の方に礼を尽くしただけなのかもしれません。

 

立場のある方々だと思われるのに、自分がどう見られたいのか(若く見られたい)、つまり自分のことしか考えてないのが残念でした。

 

若い子が「年配の人に敬意を示して自分の席を譲る」という行為が「素晴らしい」と思えないのです。

 

どうして素直に、年上を敬う気持ち、親切を、感謝できないのでしょう。

アメリカ人でしたら、必要なければニコッと笑って断るか、「サンキュー」と言って座るだけです。(ほとんどの人は喜んで座るけど)

 

これは、若い人だけでなく「年配の人も問題だ」と思わざるを得ませんでした。

 

これから問われる日本の親切

 

こんな記事がありました。

 

d.hatena.ne.jp

 

「怖い」のは、親切をする動機が、自分が大切で、見返りを期待しているからです。

  • 失敗したくない
  • 変な人と思われたくない
  • 二度と会わない人なのに(知ってる人だったら違うけど)
  • 親切にして目立つのは嫌
  • 無視した方が気が楽

 などが理由で、相手はどーでも良いのです。

 

ところが、この記事のコメントを読むと、反発が多いのに驚いてしまいました。

しかも反発の内容がお粗末なのです。

この記事が書かれたのが2010年ですから、今は、もう少し円熟していると良いなと思います。

 

もちろん、日本には、たくさんの親切な方々がおられます。

 

私としては、そんな方々と、もっともっと「親切」について、

「浅い理解」ではなく「深い理解」を語り合いたいです。

 

では今回は、この辺で、シータック!

発達障害のグレーゾーン

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先日、あさイチNHK)で、

子供が「発達障害かも」と言われたら・・・

という番組を見ました。

 

www1.nhk.or.jp

 

「自分は発達要害かもしれない」と疑ったことがありますか?

また、

「自分の子供がそうではないか」と心配する親でしょうか?

 

今回の「シリーズ発達障害」で挙げられた問題は、

検査してもはっきりと診断がつかない、つまり「グレーゾーン」です。

 

 発達障害・トリセツ

 

発達障害は、本人も周囲も困ることがたくさんあります。

 

www1.nhk.or.jp

  

助けがあるとはいえ、悩むことに変わりはありません。

 

どうしたら良いのでしょう。 

 

発達障害・親の悩み

 

「他の子供が普通にできるのに自分の子はできない」

「検査したくても夫や両親に反対される」

「検査してもはっきりしない」などの悩みです。

 

番組で、周囲から「それは個性よ」と言われると、かえって落ち込んでしまうという悩みがあげられました。

  

「障害も個性よ」

 

障害を持つ親がそう言われて、慰められることはあるかもしれませんが、

「どういう意味?」と複雑に感じたりします。

 

もし私が「個性があるのね」と言われたら、

「あなたって、素晴らしいのね」か、

「あなたって、変わっているのね」

のどちらかで、大抵は後者として受け取ります。(笑)

 

個性は誰にでもあるものです。

 

健常者が、障害者に「個性」と言うのは相手を元気付けるつもりでしょうが、

ほとんどの場合、どんな個性なのか深く考えていません。

相手や、相手の子供について「障害とは言いにくい」ので曖昧な言葉に置き換えているのです。

 

その場合、言われた方は不快に思うかもしれません。

 

子供の障害に悩んでいる親で「個性」という言葉を受け入れる準備ができてない場合もあります。

 

障害は個性ではありません。

 

障害者は、一人一人違うのです。

 

周りの悩み

 

私は子供の頃から様々な障害者に接してきたので、

アメリカでも、夫と共に、障害者の家族たちとも付き合ってきました。

 

とはいえ、私は今でも言動に迷うことがあります。

 

ですから障害者と接したことのない人が「どうしたら良いのか分からない」と感じるのは当たり前でしょう。

 

先日、私が日本で電車に乗っていた時のことです。

発達障害の青年が、ドアの所に立っている年配の男性に、

「次は〇〇駅なの?」と聞いているのを見ました。

 

年配の男性は、胡散臭そうな態度で青年を無視して答えません。

 

青年は、「ねえ、〇〇駅なの?」と何度も聞き返します。

降りる駅を間違えないかと心配しているのです。

 

私は少し離れた所に座っていたのですが、

次の駅の名前を聞き逃していたので答えられません。

教えたいけれど、答えを知らないので、どうしようかと考えあぐねます。

(これが地元でしたら、普通にしゃしゃり出て何とかするのですが)

 

そうしている内に、青年は諦めて別のドアへ向かいます。

すると別のドア付近に立っていた男性が、青年に、近づいて来る駅を指差します。

こうして青年は、無事に、駅に降りることができました。

 

これは空いた電車の中で、数十秒の間に起きたことです。

そして、この青年以外に喋る人は、誰もいなかったのです。

 

私はスッキリしないまま、動き出した電車の窓から、その青年がホームを歩いている姿を見送りました。

 

ドアの所に立っていた最初の男性は、障害者を嫌いだったのでしょうか。

男性は慣れてなかったので、どうして良いのか分からず、無視しただけかもしれません。

2番目の男性は、教えたいと思ったものの、頷いて指差すだけでした。

他の人々は、私を含め、黙ったままでした。

 

理由はどうであれ、私たちは、この青年に不親切でした。

 

皆それぞれに、何とかしたいと思いつつ、

障害者にどう接すれば良いのか分からず戸惑っていたのかもしれません。

 

そして、「他の誰かが助ければ良い」と思っていたでしょう。

  

この行動は、日頃の、私たちの障害者に対する気持ちの現れでしょう。

 

私は、この経験を通して、

健常者に「もっと障害者のことを考えて欲しい」と思いました。

それと同時に、障害者の青年にも

「この経験から、社会を嫌いにならないで欲しい」と願っています。

  

本人の悩み

 

今回の番組の「発達障害のグレーゾーンの子を持つ親の悩み」を見て、

ふと思った事があります。

 

お母さん方の悩みを聞き、その心の叫びに、

「子供たちはどう感じているのだろう」と思ってしまいました。

 

親は自分たちの苦しさに囚われ、そこから解放されたいと強く願っています。

ちょっと驚いてしまいました。

 

そして「私の母もそうだった」と思ったのです。

私の母も、この番組の母親たちと同じように、悩みながら私を育ててくれました。

 

私は生まれた時から虚弱体質で、成長できないかもと言われていました。

ですから私が10歳くらいになるまで、(弟が7〜8歳くらい)

母は夜中に何度も起きて、私が熱を出してないか、私や弟の額に手を当てていたそうです。

それに私は、情緒不安定だったので、

もしかしたら発達障害のグレーゾーンにいたのかもしれず、

それも母を不安にさせていたかもしれません。

 

さて成長しアメリカに住むようになり普通に暮らしている私ですが、今でも母の影響は残っています。

育ててくれたことを感謝してますが、

本来の私の性格と、母親が刷り込んだ性格がごちゃ混ぜになって、

悩まなくても良いのに悩んだり、私らしくない言動をとったりします。

 

私が、その刷り込まれた、自分でない性格に支配されていると気付いたのは、

大人になってからでした。

 

私の「本人の悩み」は「母の悩み」にすり替わっていたようです。

 

私は今でも、それを捨てようと努力しています。

 

親はどうすれば良い?

 

自分や社会の基準を子供に要求しないことでしょう。

 

例えば、

子供が字を読めないのであれば、親がそれを嘆いたり責めたりして、読ませようと無理しません。

 

「読むようになるかもしれないし、読まなかもしれない。そうであれば自分が読んであげよう」くらいの気持ちでいるのはいかがですか。

 

私の弟も、幼い頃、なかなか喋らないので、両親は唖(おし)ではないかと心配しましたが、

後に弟は、私が「うるさい」と思うくらいのおしゃべりになります。

偏食も酷かったですが、頭は良かったので、自分で理解できるようになると好き嫌いはなくなりました。

 

これは私個人の経験なので、

「あなたとは違う」と言う人は少なくないでしょう。

 

そして多くの親は、

「自分の子供は社会から外れてしまうのでは」と心配しています。

  

子供の心配をする前に

 

私の母の不安は、子供の時に弟と妹を病気で亡くした恐怖が原因のようです。

その恐怖は、当時、生まれていなかった自分の子供(私たち)にまで刷り込まれてしまいました。

 

とはいえ私は、心に恐怖がなくて、障害のある子供を育てている親たちを知っています。(アメリカ人には多いかもしれない)

 

ですから私は「発達障害のグレーゾーンの子を持つ親の悩み」のお母さん方を見て、

「親は、子供のことを考える前に、自分の問題を解決して欲しい」と思いました。

 

発達障害の子供たちは、始めは、何も知りません。

それなのに親の不安を感じ、それを元に、自分の人格を形成していくのです。

 

ですから、親、そして周りに(先生も含め)

先ず、自分の中にある劣等感や、不安の元となる考えや感情を捨て、

真っさらな心の状態で、自分の子供と向き合って欲しいと願っています。

 

親が、先に、自由になる必要があるのです。

 

それが今回、私が、

発達障害のグレーゾーンの子を持つ親の悩み」を見て思ったことでした。

 

それではこの辺で、シータック!

一時帰国

桜は終わってた

 

今年の春は桜が咲いたかと思ったら、あっという間に散ったようで、

私が日本に着いた時は葉桜になってました。

それもまた綺麗でしたが、

ふと、以前に撮った実家の梅の花を思い出したので、載せてみます。

 

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(曇り日の画像です)

 

1本の木から2つの色の花が咲いて綺麗でした。

梅・桃・桜、違いはお分かりでしょうか?

 

さて、今回の日本訪問は、ブログ記事の取材のようで、とても面白かったです。

その中で、

  • しょう子さん
  • のり子さん
  • あき子さん
  • やす子先生

について簡単にお知らせします。

 

しょう子さん

 

リフレクソロジーをはじめ、様々なお仕事をしながらダウン症の娘さんを育てるお母さんです。

 

娘さんはヘルマンハープの演奏もします。

ヘルマンハープは、ドイツで生まれたダウン症などの障害者のための楽器です。

 

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祥子さんは、娘さんと共にヘルマンハープの演奏でトルコに招待されていたので、

私が日本に着いた日にしか会えませんでした。

トルコでのお話は、後で聞かせてもらえるので、別の記事で書きますね。

 

のり子さん

 

彼女は、動物取扱責任者の資格を持っておられます。

以前は、ブリーダーもしておられましが、今は、日本でのペットの飼い方の質を上げる為に奮闘しておられます。

 

ランチを町田のフォンデュのレストランで楽しみながら、ペットの話に花を咲かせ、

 

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それでは終わらないので、場所を変えて、延々5時間以上、おしゃべりを楽しみました。

 

「ペットにとって良い環境は何か」について、記事を書くつもりです。

 

あき子さん

 

「亜子さん」で親しまれている彼女は、日本で唯一、歌が歌えフルート演奏もできるツワモノです。

 

彼女は、新宿で歌の先生をしておられます。

今回、2つのコンサートに参加されたので、赤坂と町田のライブに行ってきました。

 

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亜子さんは、小さな体でパワフルな演奏をされます。

年に一度、アメリカで演奏したり学んだりしておられます。

 

彼女の声はブルース向きです。

今まで私は、日本人が歌うブルースは、アメリカのと比べると、

「これってブルース?」と思っていたので、亜子さんに期待してます。

 

やす子先生

 

最後は、鍼灸(はりきゅう)の先生です。

 

私が日本に行くのは、治療が目的ですが、やす子先生は頼りにしている方の一人です。

 

今回は、ハリウッド仕込みの先生から学んだという美顔針をしていただきました。

私の体の治療にも、とても良い効果がありました。

 

美顔針は、女性はもとより、男性の方にもっと良く効くのだそうです。

男性の皆さま、ぜひ試してみてください。

 

このお話についても、また別の記事で紹介しますね。

 

ということで、とても楽しい日本旅行でした。 

 

それでは、シータック!

サマータイム(夏時間)は必要なの?

夏時間の始まり

 

アメリカの夏時間が、3月11日に始まりました。

 

日曜日の朝に、私は、時計を1時間、先送りにしたところです。

 

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夏時間は、イギリスでは、サマータイム

アメリカでは、

デイライト・セービング・タイム(Daylight Saving Time)DSTと言います。

 

アメリカの DST は、

3月、2週目の日曜日、午前2時に始まり(1時間減る)

11月、最初の日曜日、午前2時に終わります。(1時間戻す)

  

さてこの 夏時間ですが、アメリカやイギリス、60カ国以上が実施しています。

日本でも過去に実施されたしりましたし、導入について検討もされたりしています。

 

夏時間は、日本でも必要だと思われますか?

 

夏時間を考え出したのは誰?

 

夏時間の発明者はベンジャミン・フランクリン(100ドル紙幣に印刷されてる人)と言われたりします。でも違います。

 

1784年、パリの新しいオイルランプのデモンストレーションに出席していたフランクリンは、匿名でジャーナル・オブ・パリに、自宅の照明についてユーモアーを交えたエッセイを送りました。

それはSNSにあるような「こうしたら社会は良くなるかもね」的な情報発信だったのかもしれません。

 

フランクリンは、その後も照明(ロウソクが主)の節約について考え続けました。

それは人々の習慣を変えるため、時間を変えることではなかったようです。

 

始めて夏時間を提案したのは、ニュージーランドの昆虫学者、ジョージ・ハドソンでした。(1895年)

「朝が早いとたくさんの昆虫を集められるから」ということだったらしいです。

 

その後、イギリスの建築家、ウィリアム・ウィレットが、朝の光を浪費しないために時計を調節するという考えをパンフレットに込めて精力的に広め始めます。(1905年)

「習慣で変えられないのであれば、時間を変えてしまえ!」ということでしょうか。

 

実はウィレットはゴルフ好きで、夕方に途中でゴルフを切り上げるのが嫌いでした。

そこで見つけた解決策が「時間を早める」ということらしく、なんと死ぬまでロビー活動をしたそうです。

 

どちらにしても個人的な好みが動機のようですが、それが世界を変えるなんて面白いですね。「何て素敵」と思いました。

 

残念ながら、ジョージ・ハドソンは1871年、ウィリアム・ウィレットは1915年に亡くなられたので、実際に夏時間が始まるのを見ることはありませんでした。

  

実施されたのはいつ?

 

イギリスとドイツは、夏時間を1916年、第一次世界大戦中に始めます。

 

アメリカは、1918年3月31日から始まる7ヶ月間に行いましたが、不評だったのですぐに廃止します。

 

戦後、他の多くの国々も夏時間を廃止します。(イギリスは続けた)

 

そして第二次世界大戦が始まると、再びアメリカは、エネルギー節約のためにDST を導入します。

戦後、アメリカではDST の一律の定めはなかったので混乱が続き、1966年に規制が制定されました。

 

それから50年以上経ちました。

ところが今でも、DST について喧々諤々の論争が続いています。

FacebookTwitter でも激しい論争があるので、英語を読める方は見てみてください。

 

そう、夏時間の賛否は、ネバー・エンディング・DST・ディベート(The never ending DST debate)なのです。

 

では、夏時間の長所・短所にはどのようなものがあるのでしょう。

 

夏時間のプロとコン(Pros and Cons)

 

賛成(Pros )

  • 朝の活動を早く始めるので、午後、特に夕方の時間を有効に使える。特に野外でのスポーツやレクリエーションを長く楽しめる。
  • 学校や仕事の後、買い物、飲食、コンサートやイベントなどを楽しめるので、経済効果が期待できる。
  • 照明などのエネルギーの節約になる。例えば、私の住んでいるシアトルあたりは、夏至の頃の日没は夜の9時過ぎで、1日は16時間ほど明るい。
  • 道路の安全性を上げることや、犯罪率の低下に役立っている。

  

反対(Cons)

  • 1時間の睡眠を失う。人はそんなに簡単に睡眠の習慣を変えられないので睡眠時間が短くなる。
  • 3月の第2週の朝はまだ暗いので、せっかく明るくなってきたのに、再び暗い内に学校や職場へ行かなければならなくなる。(落ち込む人もいる)
  • 交通事故が多発する。失われた睡眠と薄暗い中での車の運転で、事故が起こりやすくなる。
  • 体内時計が狂い、健康に害を及ぼす。(心臓発作が増えるという結果も報告されている)
  • 赤ちゃんや子供の生活リズムに影響する。睡眠時間が変わるのでストレスになる。
  • エネルギーの節約に少ししか役立ってない。かえって増加してしまった州もある。(エネルギー節約は元々の目的だったのに)
  • 生産性が下がる。
  • 農家にとってあまり益がない。(自然相手だから)

 

日本での導入の可能性

 

日本では、度々夏時間の導入が議論されてきましたが、なかなか定着しません。

 

特に日本は縦に長い国なので、北海道では益があっても、沖縄はあまり益にならないという問題もあるでしょう。

夏の花火を始める時間も遅くなります。

コンピューターや携帯電話の時間の変更、法律の改正など、導入のための費用がかかり、手間も増えます。

(皆がそろって新しい機器に買い換えるという経済効果はあるかもしれない)

 

これからのサマータイム

 

アメリカで DST を好きな人は、嫌いな人と同じくらいいます。

 

DST を好きな人たちは、夏の長いお日様の時間を楽しんでいるようです。

それは私も同じです。(仕事している頃は嫌いだったけど)

 

とはいえ、フランクリンが考えていたように、早起きして、朝の時間を有効に活用し楽しめばそれで良いのでは、とも思ったりします。

  

サマータイムは、多くの先進国で採用されています。

その経済効果について言う専門家もいます。

反対に「期待したほどの益はない。むしろ害の方が大きいかも」という調査結果も増えています。

 

ですから、その内、夏時間は、時代遅れになるかもしれません。

 

これが私の結論、「夏時間は、もう時代遅れ」です。

  

それではこの辺で、シータック!

日本はどの国とも違う

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日本は他国から征服されたことがない

  

日本の魅力は、文化、歴史、芸術、食べ物、安全、組織力などに見られます。

 しかもそれらが洗練され、独特なのです。

 

では、どうしてこんな国になったのでしょう。

 

その一つに、今の日本人のほとんどが、大和民族だということが挙げられるかもしれません。

つまり、よそから征服されたことがないのです。(第二次世界大戦後にちょっと征服されるけど、すぐに復帰)

 

日本は、長い間、侵略するには遠すぎる島国でした。

  

アジアの東の果ての国 

 

私は、日本が外国から征服されたかもしれない危険が、歴史上3回あったそうです。

 

  • 元寇(1274年、1281年):元は日本を攻め、壱岐対馬を取りますが、暴風雨で元軍は大打撃を受けてしまったので撤退します。3度目の侵攻も考えていたらしいのですが、ベトナム方面で反乱が起こるなどして実行できませんでした。
  • 植民地化政策:戦国時代(1467年〜1591年?)に、ポルトガル・スペインの商人やイエズス会などの宣教者が日本へやって来て植民地にしようと試みます。ところが、日本人の教養の高さゆえに思想を変えることは難しく(西洋人より読み書きできる人が多かった)、武士も強くて征服するには無理だし(西欧の騎士と日本の武士が戦ったら武士の方が強いらしい)、極東で島国なので軍を送って征服するには困難だった。そうしている内にスペインの無敵艦隊がアマルダの海戦(1588年)でイギリスに負けて力が衰えていきます。おまけに日本は鎖国してしまいました。そうして日本は、国を閉ざしている間、文化や優秀な人材を育てる十分な時間があったのです。
  • アメリカの黒船来航(1953年):日本は開国を迫られ、多少のイザコザはありましたが、開国して西欧の技術を取り入れ、国力を上げていったので、西欧諸国は日本を征服しにくくなります。

 

 つまり、日本が特別の位置にあり、時代と共に自分たちの能力を上げていったのが征服されなかった理由ではないでしょうか。

 

他国から征服されなかったゆえに、日本には、もう一つの特徴があります。

 

遺伝子

 

日本には縄文時代から人が住んでますが、3回に分かれて来たのではないかと言われています。

そして遺伝子を解明する技術が発展し、その遺伝子をたどっていくと、やはり日本人は特別だったのではということが明らかになりつつあります。

 

hirukawa.hatenablog.jp

 

fanblogs.jp

 

(注:この記事の「聖書の予言が・・・」は、欧米人に言ったら変な人と思われ信用をなくすかも)

  

とにかく日本人の遺伝子は、中近東のセム族、そして古代イスラエルや古代ユダヤの遺伝子が、濃い形で残っているそうです。

特にD2系統は、日本人の中にしか存在しない固有の系統だそうで、他のアジア人には見られません。

 

日本人のルーツ

 

日本人は、自分の先祖がどこから来たのか興味があります。

(アメリカでも自分のルーツに興味のある人は多く話題になりますし、1977年のテレビ人気ドラマ「ルーツ」は日本でも放送されました)

 

ということで、日本人のルーツはどこなのでしょう。

 

www.historyjp.com

 

dametv2.cocolog-nifty.com

 

日本人は、出生率が少ないのに移民受け入れには消極的な国です。

「おもてなし」とか、他の国の人に親切であっても、自分の生活圏に受け入れるのは躊躇します。

それは長い日本の歴史の中で、延々と続いてきたことです。

 

アメリカ人と結婚してしまった私が言うのはおかしいでしょうが、日本人がこのまま(鎖国風)で良いのであればそれで良いと思っています。

例えば日本の習慣で、皆と同じにすることは当たり前のことです。

それはまるで個性がないかのようで、外国人からすると奇妙に見えるでしょう。(むしろ戸惑う)

ところが面白いことに、それが日本独自の文化を作り、魅力となり、個性となっています。

 

日本は、歴史でも、文化でも、遺伝子に至るまで、世界の中でも変わった国です。

つまり、どの国とも違うという事ですね。

 

それではこの辺で、シータック!

西郷どん 第9話 ヒー様と上司(ネタバレ)

江戸のヒー様

 

西郷どん第9話、面白かったです!

 

特に、ヒー様は、かっこよかったですね。

お忍びの一橋慶喜は、「東山の金さん」や、

暴れん坊将軍」「大岡越前」の市中を歩き回る将軍吉宗を連想させます。

 

そのヒー様がひいきにしてるのが、なんと、ふきちゃんです。

 

news.mynavi.jp

 

一橋慶喜は、後の徳川最後の将軍、江戸時代の権力者になる人です。

 

さて毎年、大河ドラマを「つまらない」と言う人はいて「西郷どん」も例外ではありません。

 

それで私は、「西郷どんは面白いの?」と思ってる人たちのために、

第9話を見ながら「上司」について考えてみました。

 

上司、その1、西郷隆盛

 

西郷さんというと、上野の銅像(薩摩犬・ツンと一緒)が有名ですね。

 

yukarino.jp

  

ところが「西郷どん」第1話の冒頭であったように、

私でもあの銅像は引くというか、ゆるキャラに近い?と思ったりします。

親しみがあっても、上司としては選びたくないかもしれません。

もちろん、実際の西郷隆盛を尊敬し、付いていった人はたくさんいました。

 

西郷隆盛の生涯は、波乱万象でした。

薩摩の貧しい下級武士に家に生まれ、様々なことを乗り越え、明治新政府の軍司令官になり、江戸無血開城に関わり(40歳の時)、それから9年後に西南戦争が起こって切腹で生涯を終えます。

 

西郷は、貧民から出世したヒーローで、自分を頼った若者たちに命を預け死んでいきました。

天皇陛下も西郷の死を悼まれたそうで、天皇陛下にとってもヒーローだったんですね。

 

bushoojapan.com

 

このブログの記事は「スッキリ」とある通り分かりやすいですが、長いです・・・

そう、西郷の話は長いのです。

そして、複雑です。

 

さらに私は、子供の頃、2年近く熊本市に住んだことがあって、

西南戦争の激戦地だった田原坂へも行き、

そこで敵側から見る西郷さんの話もあったと気づき、

物事は一方からだけ見てはいけないと思ったのです。

それら全てを考えると、西郷隆盛の話は、一年で終わらせるのは大変だと思います。

 

西郷に関する資料は多いので(本人の写真はないけれど)

前の年の大河ドラマ「女城主 直虎」と比べると、脚本を自由に作れない不自由さもあるでしょう。

 

今回の大河ドラマで表現するのは「愛」ですので、西郷が、どのように愛し愛される人だったのか、今までとは違う西郷さんに期待しましょう。

西郷の敵側の人たちを納得させられるのか、という挑戦もありますね。

  

上司、その2、悪役上司

 

西郷吉之助が江戸に着くと、定番の悪役上司(?)組頭の迫田友之進が登場します。

 

腹が立ちますが、こういう人って、どの組織にもいますよね。

 

 twitter.com

 

ということで、悪役上司も理想の上司になれるかもしれない、というマンガも付け加えました。(笑)

 

curazy.com

 

この上司は、吉之助を好きになってくれるのでしょうかね。

 

とにかく吉之助は長屋で、有村俊斎大山格之助に再開し、二人に誘われて品川宿の飯盛旅籠、磯田屋へ行きます。

そこでは、ふきが飯盛女として働いていました。

 

薄幸少女だったふきは、今や美しい娘となり、ヒー様、つまり将来の将軍様のご贔屓だなんてニクいですね。

 

ちょっと寄り道、お忍び、あれこれ

 

身分のある人のお忍びは話題になります。

 

実は、天皇陛下も「銀ぶら事件」というお忍びをされたことがあったそうです。

 

togetter.com

 

他にもこんな情報がありました。

 

smart-flash.jp

 

上司その3、徳川家定

 

徳川13代将軍の家定を演じるのは、ピース又吉です。

 

第9話での初登場ですが、

「ぼやけた発言で奇行がある愚鈍なうわさ」のある殿役のせいか、

又吉直樹だとは気づかない人も多かったようです。(実は私も・笑)

 

2008年の大河ドラマ篤姫」で、家定を演じた堺雅人は、出演が少なかったにも関わらず話題になりました。

「西郷どん」の櫻井CP(政策統括・チーフプロデューサー)も、又吉直樹が「不思議な魅力の家定を演じてくれると思う」と言い「堺雅人を超えるのでは」と期待しているそうです。

 

www.sponichi.co.jp

 

家定に関しては、多くの兄弟たちの中で生き残ったのが一人だけだったので、変な行動をすることによって自分を隠していたのでは、との意見もあります。

 

7世紀、有間皇子万葉集に歌二首が収められている)は、「政権に巻き込まれるのを避けるために心の病を装った」とあるので、考えられなくもありません。

 

 一方 、篤姫の方は、江戸の薩摩屋敷で斉彬の嫡男 虎寿丸と相撲を取ってます。

お転婆な薩摩娘に、徳川の御台所が務まるのか心配されます。

いよいよ篤姫への厳しい教育が始まるので、スーパーヒロインに変化していく様子も面白そうです。

 

門限破りの罰は庭掃除

 

さて、江戸初日に悪友二人(?)に誘われて品川宿でふきちゃんに会えて嬉しかった吉之助でしたが、門限に間に合わず、しかも自分だけ見つかってしまい(ドジぶりも面白い)庭掃除の罰を言い渡されます。

 

「殿のために!」と意気込んで江戸にやって来た吉之助だったのに、

先に江戸にやって来た友たちは、殿に奉公するどころか殿に会うこともままならず、旅籠で気晴らしをするほど腐ってます。

 

そんな毎日にがっかりする吉之助でしたが、突然、殿が住んでいる御座所のお庭方を命じられます。

 

上司、その4、島津斉彬

 

やっと、吉之助は、お庭で殿(斉彬)に会えます。そして、

 

「命をかける」と言った吉之助に、斉彬は、

「そなたの命、わしにくれ」と言います。

 

 

斉彬に直接支えられるようになった吉之助は、水戸藩邸へ斉彬の書状を届けることになり、水戸藩邸で、吉之助はヒー様(一橋慶喜)に再開したのでした。

 

ということで、第9話をまとめるとこうです。

 

吉之助の江戸到着下宿で友人たちに会う→開国騒動揺れる江戸(家定の登場)→篤姫はお転婆娘→ふきちゃんに再開→ヒー様に会う→門限破りの罰(庭掃除)→御座所のお庭方を命じられる→水戸藩邸へ

 

命をかけられる上司?

 

お話やドラマなどでは良く出てくる「命をかける」について、こんな話があります。

 

toyokeizai.net

  

確かに、部下に命をかけてくれる上司がいれば良いですが、

コメントを読むと「時代が違いすぎる」とのことでした。

 

まあ、そうですよね。

 

ところがこんな記事もあります。

 

cocorokotoba.seesaa.net

 

ワンピースからも学べるなんて、「命を賭ける」精神は現代でもあったのですね。

 

私は、命をかける価値のあるものを持っている人は魅力的だと思います。

そういう人から清々しさを感じたりします。

 

島津斉彬は、西郷隆盛にとってそのような人、命を懸けても良いと思えるお殿様だったんですね。

 

上司、その5、一橋慶喜

 

ヒー様こと一橋慶喜は、後の徳川幕府15代将軍になります。

 

第9話のヒー様は、女の子にキャーキャー騒がれる町人風のイケメンです。

こんな感じの上司が職場にいたらどうでしょう?

 

いずれ、徳川慶喜西郷隆盛は、敵同士になるでしょう。

江戸幕府 VS 新政府ですね。

今の所は、「どっちが上司にいいか」というと微妙ですね。

 

徳川慶喜は、ちゃらけてるし、

西郷隆盛は、真面目な田舎侍です。

 

まだ第9話ですので、これから二人がどう変わっていくのかも見ものです。

 

犬から学ぶ?

 

さて、犬好きで有名な西郷でしたが、実は洋犬が好きだったとの情報もあります。

私も犬好きなので、我が家の犬たちを見せたかったです。(猫も飼ってます)

 

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ゴールデンレトリバーと、ヨークシャーテリアたちです。(親子みたいですが皆成犬・笑)
 

世間では、犬のしつけが問題になることがありますね。

それは犬が悪いのではなく、飼い主に問題があることが多いんです。

 

犬はオオカミに似ているのに、順位制にはこだわりません。

ただ、ご主人様がしっかりしてないと、自分で自分を守ろうとして問題を起こすようになります。

つまり犬にとって、ご主人様は「頼れる上司なのか」という事なのです。

 

西郷の犬たちは、頼れるご主人様として西郷に従っていたのでしょう。

 

西郷さんは現代でも頼れる人?

 

西郷が、どれほど頼れて男気のある人だったかについて、私の母から聞いた話があります。

ある人が、西郷の勇気や気質を知ろうとして、刀を彼の頭に振りかざし、すんでのところで止めて、サッと西郷の股の間を触ります(キャー)。

ところが、西郷の◯◯は硬くなかった、つまり恐怖で緊張していません。

それで相手は、西郷の覚悟に満足したそうです。

 

こんな話を少女だった私(小学生)にするくらいですから、当時の西郷信奉は大変なものだったのでしょうね。(笑)

 

今の人たちは、このような西郷隆盛に、憧れと共感を持てるのでしょうか。

これからの「西郷どん」の進展を見守っていきたいと思ってます。

 

それではこの辺で、シータック!

 

日本のパスポートは世界一

日本の信用度

 

なんと「パスポートパワー」で、日本はシンガポールと共に世界1になったそうです。

 

www.msn.com

 

私たちがビザなしで行ける国は180カ国もあるそうです。すごいですねー。

つまり日本人は、世界でとても信頼されているということです。

 

 

ところで去年の秋、私が日本からアメリカへ戻ってくると、入国審査官から、

「なぜアメリカの市民権を取らないの?」と聞かれてしまいました。

 

一瞬「へ?」と思った私でしたが、

「アメリカの市民権を取っても取らなくても、私の状況はあまり変わらないからです」と答えます。

 

入国審査官は、ふーん・・・という反応。(可もなく不可もなくって感じ)

 

私は、正直に自分の考えを述べたのだけれど、これでは理解してもらえません。

普通(他の国の人たち)でしたら、アメリカのGCグリーンカード)を取得したら5年後にアメリカの市民権を取るからです。

また、私のGCは期限が無いので(つまり更新する必要が無い)それで聞かれたのかもしれません。

 

とにかく私は、アメリカに住んで30年以上、年2回日本へ帰ってますが、こんな質問をされたことはありませんでした。(9/11の時も)

テロ問題があるから?それとも個人的な興味?と思いましたが、

「私の日本の友人たちで市民権を取った人はあまりいません。日本とアメリカは良い関係にあるからだと思います」と付け加えます。

 

そして審査官は、表情も変えず、私のパスポートにポンと入国スタンプを押してくれたのでした。

 

今回の「パスポートパワー」ランキングで、日本は1位なのに、アメリカは5位です。

あの時「日本のパスポートの方がアメリカのより信用度が高いから」なんて言ってやれば良かった、などと思いましたが、自分の印象を悪くしてしまっては元も子もありませんね。

 

もちろん日本国籍を捨て(もしくは二重国籍のまま)アメリカの市民権を得る方々もおられます。

日本人妻で、子供は日本語を喋らないし、日本に行くことも無いから、との理由でアメリカの市民権を取った方もおられました。

 

また日本国籍のままで良かったという話もあります。

アメリカ人と結婚されたある日本人妻は、

「まさか娘が日本に住むことになるとは思わなかった」と言われました。

 

その娘さんは、日本語はちょっとしか話せず、父親が亡くなられた後も、母親と共にアメリカに住んでました。ある時、娘が、日本で生活してみたいと母親の親戚のツテで日本で仕事をすることになります。始めは数年でアメリカに戻ってくる予定でした。ところが日本人男性と結婚し、そのまま日本に留まってしまったのです。(お相手は高校の英語教師)

そうして時が過ぎ、アメリカ在住の母親は、年を取り、病気になります。

娘夫婦は母親を日本に呼び寄せ、最後まで手厚く看病したそうです。

 

ですから、アメリカに住んでいるハーフの子供で、日本語を話せなくても、将来はどうなるか分からないということです。

 

このように、日本人で移民のままの人が多いのは、

日本が、日本国籍を持ったままでいたいと思わせる国、信頼されている国だからでしょう。

 

ではなぜ日本が信頼されてるのでしょうか。

 

信頼されてる理由

 

その理由をいくつか上げてみました。

  • 時間や約束を守る:電車の時刻の正確さにも現れる
  • 車や電化製品:技術が素晴らしい
  • 犯罪が少ない:津波の時、流された金庫を取るのではなく届けた、など
  • 一応、親切:「おもてなし」の親切はよく知られている(一応なのは、利害関係がなかったり、知らない人だったりすると不親切になるから)
  • 美味しいものがいっぱいあって清潔:寿司はもちろんのこと、高級和食からおでんなどの庶民的なもの、お菓子の種類も多くて安心して食べられる
  • 文化:長い時間をかけて培われたものを現代でも大切に守っている

 

まだ他にもありますが、過去の日本人たちの努力や振る舞いによって得た評判も大きいと思います。

日本人は、今も昔も、勤勉さで知られています。

 

とはいえ、そうでなかった時期もありました。

  

日本は、いつも信頼されている国ではなかった

 

戦争時は別として、歴史的にも日本人の評判は良いのですが、一部の人々のために不評だった時もあります。

 

今や日本の技術は世界最高レベルですが、数十年前は、日本の製品の評判はとても悪かったそうです。(服もメイド・イン・ジャパンは低レベルだった)

また日本人が海外旅行に行き始めたころは、

お風呂の使い方を間違えてバスルームを水浸しにしたり、スープやパスタをズルズルと音を立てて食べたり(ツアーで大勢の人たちが一同に立てる音はかなり耳障り)所かまわずカメラで写真を撮ったりしました。

また「エコノミックアニマル」なんてあだ名を付けられたこともありましたし、日本がバブルのころアメリカでは「日本が自分たちの雇用を奪っている」と大変な騒ぎになりました。

 

ですから、信頼とは、努力し続けなければ、あっという間に失われてしまうものなのです。

 

私も、フィリピン人から「なぜ日本人は、自分の国が一番だと言うの?」と聞かれたことがあります。(彼はフィリピンでは医師だった)

またバブルのころ、日本人がハワイの土地を買い占めるので固定資産税が上がってしまいました。そして現地人が税金を払えなくなり、昔から住んでいる家を売らなければならなくなったと嘆いているニュースが流れると、

アメリカ人男性からは「日本はなぜそんな買い占めをするの?」と聞かれました。

 

それで私は、

フィリピン人には、

「有名大学を卒業し、大手企業に勤め、自分は偉いと勘違いしているバカな人たちを嘆いている日本人は多い」と答え、

アメリカ人には、

「急に金持ちになってお金の使い方を知らない一部の人たちが、日本の評判を落としている」と答えました。

 

フィリピン人は、ニコッと笑って頷いてくれましたし、

アメリカ人は、黒人の方だったので、

「分かる。一部の黒人の愚かな行いが、黒人全体に迷惑をかけてるのと同じだね」と言ってくれました。

 

ですから、今、日本のパスポートは世界1かもしれませんが、それにおごることなく、良い評判にふさわしい行動をしていきたい、と、おばちゃんは思ってます。

 

ではこの辺で、シータック!