シアトルタコマのおばちゃんブログ

アメリカ在住30年以上、現在シアトルタコマのあたりに住むおばちゃんのブログです。

発達障害のグレーゾーン

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先日、あさイチNHK)で、

子供が「発達障害かも」と言われたら・・・

という番組を見ました。

 

www1.nhk.or.jp

 

「自分は発達要害かもしれない」と疑ったことがありますか?

また、

「自分の子供がそうではないか」と心配する親でしょうか?

 

今回の「シリーズ発達障害」で挙げられた問題は、

検査してもはっきりと診断がつかない、つまり「グレーゾーン」です。

 

 発達障害・トリセツ

 

発達障害は、本人も周囲も困ることがたくさんあります。

 

www1.nhk.or.jp

  

助けがあるとはいえ、悩むことに変わりはありません。

 

どうしたら良いのでしょう。 

 

発達障害・親の悩み

 

「他の子供が普通にできるのに自分の子はできない」

「検査したくても夫や両親に反対される」

「検査してもはっきりしない」などの悩みです。

 

番組で、周囲から「それは個性よ」と言われると、かえって落ち込んでしまうという悩みがあげられました。

  

「障害も個性よ」

 

障害を持つ親がそう言われて、慰められることはあるかもしれませんが、

「どういう意味?」と複雑に感じたりします。

 

もし私が「個性があるのね」と言われたら、

「あなたって、素晴らしいのね」か、

「あなたって、変わっているのね」

のどちらかで、大抵は後者として受け取ります。(笑)

 

個性は誰にでもあるものです。

 

健常者が、障害者に「個性」と言うのは相手を元気付けるつもりでしょうが、

ほとんどの場合、どんな個性なのか深く考えていません。

相手や、相手の子供について「障害とは言いにくい」ので曖昧な言葉に置き換えているのです。

 

その場合、言われた方は不快に思うかもしれません。

 

子供の障害に悩んでいる親で「個性」という言葉を受け入れる準備ができてない場合もあります。

 

障害は個性ではありません。

 

障害者は、一人一人違うのです。

 

周りの悩み

 

私は子供の頃から様々な障害者に接してきたので、

アメリカでも、夫と共に、障害者の家族たちとも付き合ってきました。

 

とはいえ、私は今でも言動に迷うことがあります。

 

ですから障害者と接したことのない人が「どうしたら良いのか分からない」と感じるのは当たり前でしょう。

 

先日、私が日本で電車に乗っていた時のことです。

発達障害の青年が、ドアの所に立っている年配の男性に、

「次は〇〇駅なの?」と聞いているのを見ました。

 

年配の男性は、胡散臭そうな態度で青年を無視して答えません。

 

青年は、「ねえ、〇〇駅なの?」と何度も聞き返します。

降りる駅を間違えないかと心配しているのです。

 

私は少し離れた所に座っていたのですが、

次の駅の名前を聞き逃していたので答えられません。

教えたいけれど、答えを知らないので、どうしようかと考えあぐねます。

(これが地元でしたら、普通にしゃしゃり出て何とかするのですが)

 

そうしている内に、青年は諦めて別のドアへ向かいます。

すると別のドア付近に立っていた男性が、青年に、近づいて来る駅を指差します。

こうして青年は、無事に、駅に降りることができました。

 

これは空いた電車の中で、数十秒の間に起きたことです。

そして、この青年以外に喋る人は、誰もいなかったのです。

 

私はスッキリしないまま、動き出した電車の窓から、その青年がホームを歩いている姿を見送りました。

 

ドアの所に立っていた最初の男性は、障害者を嫌いだったのでしょうか。

男性は慣れてなかったので、どうして良いのか分からず、無視しただけかもしれません。

2番目の男性は、教えたいと思ったものの、頷いて指差すだけでした。

他の人々は、私を含め、黙ったままでした。

 

理由はどうであれ、私たちは、この青年に不親切でした。

 

皆それぞれに、何とかしたいと思いつつ、

障害者にどう接すれば良いのか分からず戸惑っていたのかもしれません。

 

そして、「他の誰かが助ければ良い」と思っていたでしょう。

  

この行動は、日頃の、私たちの障害者に対する気持ちの現れでしょう。

 

私は、この経験を通して、

健常者に「もっと障害者のことを考えて欲しい」と思いました。

それと同時に、障害者の青年にも

「この経験から、社会を嫌いにならないで欲しい」と願っています。

  

本人の悩み

 

今回の番組の「発達障害のグレーゾーンの子を持つ親の悩み」を見て、

ふと思った事があります。

 

お母さん方の悩みを聞き、その心の叫びに、

「子供たちはどう感じているのだろう」と思ってしまいました。

 

親は自分たちの苦しさに囚われ、そこから解放されたいと強く願っています。

ちょっと驚いてしまいました。

 

そして「私の母もそうだった」と思ったのです。

私の母も、この番組の母親たちと同じように、悩みながら私を育ててくれました。

 

私は生まれた時から虚弱体質で、成長できないかもと言われていました。

ですから私が10歳くらいになるまで、(弟が7〜8歳くらい)

母は夜中に何度も起きて、私が熱を出してないか、私や弟の額に手を当てていたそうです。

それに私は、情緒不安定だったので、

もしかしたら発達障害のグレーゾーンにいたのかもしれず、

それも母を不安にさせていたかもしれません。

 

さて成長しアメリカに住むようになり普通に暮らしている私ですが、今でも母の影響は残っています。

育ててくれたことを感謝してますが、

本来の私の性格と、母親が刷り込んだ性格がごちゃ混ぜになって、

悩まなくても良いのに悩んだり、私らしくない言動をとったりします。

 

私が、その刷り込まれた、自分でない性格に支配されていると気付いたのは、

大人になってからでした。

 

私の「本人の悩み」は「母の悩み」にすり替わっていたようです。

 

私は今でも、それを捨てようと努力しています。

 

親はどうすれば良い?

 

自分や社会の基準を子供に要求しないことでしょう。

 

例えば、

子供が字を読めないのであれば、親がそれを嘆いたり責めたりして、読ませようと無理しません。

 

「読むようになるかもしれないし、読まなかもしれない。そうであれば自分が読んであげよう」くらいの気持ちでいるのはいかがですか。

 

私の弟も、幼い頃、なかなか喋らないので、両親は唖(おし)ではないかと心配しましたが、

後に弟は、私が「うるさい」と思うくらいのおしゃべりになります。

偏食も酷かったですが、頭は良かったので、自分で理解できるようになると好き嫌いはなくなりました。

 

これは私個人の経験なので、

「あなたとは違う」と言う人は少なくないでしょう。

 

そして多くの親は、

「自分の子供は社会から外れてしまうのでは」と心配しています。

  

子供の心配をする前に

 

私の母の不安は、子供の時に弟と妹を病気で亡くした恐怖が原因のようです。

その恐怖は、当時、生まれていなかった自分の子供(私たち)にまで刷り込まれてしまいました。

 

とはいえ私は、心に恐怖がなくて、障害のある子供を育てている親たちを知っています。(アメリカ人には多いかもしれない)

 

ですから私は「発達障害のグレーゾーンの子を持つ親の悩み」のお母さん方を見て、

「親は、子供のことを考える前に、自分の問題を解決して欲しい」と思いました。

 

発達障害の子供たちは、始めは、何も知りません。

それなのに親の不安を感じ、それを元に、自分の人格を形成していくのです。

 

ですから、親、そして周りに(先生も含め)

先ず、自分の中にある劣等感や、不安の元となる考えや感情を捨て、

真っさらな心の状態で、自分の子供と向き合って欲しいと願っています。

 

親が、先に、自由になる必要があるのです。

 

それが今回、私が、

発達障害のグレーゾーンの子を持つ親の悩み」を見て思ったことでした。

 

それではこの辺で、シータック!